interview

春風亭与いち

vol.9 第四回【前編】

夢は大きく、落語界のステファン・カリーに。自分と同世代の人たちを落語ファンにするべく、日夜努力中!

寅年になって2回目の【寅の子会】は満を持して、おふたりの誕生日がある4月に開催! 寅年生まれの朝枝さん、与いちさんとのお付き合いももうすぐ1年になります。今回から会場が【港区立伝統文化交流館】へと移動したので、せっかくなら撮影もここで行いましょうということに。春らしい陽気の中、爽やかなブルー系のお着物で撮影に協力してくださった与いちさんから、インタビュー開始です!

春風亭与いちインタビュー写真

今回もハプニングからスタート! お客様全員がハラハラしながら見守った、ハプニングとは?

今回も与いちさんが先に港区立伝統文化交流館入り。「すっごいですね、この場所!」と隅から隅まで探索が止まりません(笑)。ようやくお着替えを促して、単独撮影をスタート。朝枝さんの単独撮影を行っている間に、インタビュースペースにお越しいただきました。

――さて、前回(2月13日開催)の【寅の子会】はいかがでしたか? バレンタイン・ディ前日だから、そっち方向のお膳立てをしたのに、もう朝からハプニングが……(笑)。

与いち:いや、本当に楽しかったです(笑)! でも、正直言うとあの日は気が気じゃなくて……。寅の子会どころじゃなかったです(笑)。もちろん、冗談ですよ!!!

――あの日は、朝『渋谷らくご』の『はやおきらくご』に出演されてから澤田写真館へ来られましたよね。与いちさんのヤクルトの空き容器のツイートを一之輔師匠が引用RTされたと知ったのは……?

与いち:シブラクの高座に上がる直前です。だから、もう「え?」ってなってしまい、シブラクでも『黄金の大黒』をかけたんですが、途中の「冗談言っちゃあいけねぇ」というセリフで時間内に降りるはずが、それが出てこなくて、そのまま最後までやっちゃったんです……。シブラクの高座がどんなだったかも記憶にないですし(笑)。

――やっぱり、そういうハプニングというのは高座に影響するんですか?

与いち:めちゃめちゃしますよ! 特に僕みたいにまだ全然芸が出来てない人間は、精神的に追い込まれてしまって、モロに高座の出来不出来に関係してきます。

――毎回、与いちさんは熱量の高い高座が評判なのですが、今回は特にパッションがすごかったってお客様が言ってらして。むしろ、追い込まれているほうが良かったりして(笑)。『明烏』なんて、本当にしびれました! ネタおろしに近いタイミングを聞いているからかもしれませんが、さらに面白くなってて! どうして『明烏』をやろうと思われたんですか?

与いち:あの日は2席とも一之輔師匠に教わった噺をかけました。前にもお話しましたよね、僕は『明烏』を聞いて一之輔師匠を好きになったんですって。だから、もう、いつクビになってもしょうがないなぁって思って……。悔いのない高座にしたい、と思って選びました。もうひとつの『黄金の大黒』も一之輔師匠に教わった噺なんです。もう死んでもいいので、一生懸命やろうと思いましたね(笑)。

※詳細をご存じない方は、どうぞ2月13日の与いちさんのTwitterを遡ってご覧ください!

――お客様の感じはどうでしたか?

与いち:最高です!(笑)

――初回からずっと来てくださっている方も多いのですが、10月の会で与いちさんの手ぬぐいを2枚とも当てた方もいらしてましたよ。

与いち:わ! あの伝説(笑)の回ですね。うちの父に手ぬぐいを当ててしまい、そのあとにご夫婦に2枚当たってしまったという……(笑)。いろんなところのマクラで話をさせてもらってます……、というか今日もその話をマクラでいじっちゃいましたけど、大丈夫でしたか? え、4月の会にも来てくださると? ありがたいですね、本当に!

『地元・仙台に人を呼び込める芸人になりたい』という思いは、ずっと変わりません。――与いち

インタビューが行われたのは気温が高く、のどかな春らしい日。実は前の夜に大きな地震があったため、与いちさんは少し寝不足の様子です。

――地震、ご実家は大丈夫でしたか? ご連絡がついたとTwitterに掲載されていましたが、私も心配になりました。

与いち:ありがとうございます。お店のお皿なんかが割れちゃって、後片付けが大変なようですが、家族とは全員連絡が取れて、無事です! お気遣い感謝です。

――二ツ目に上がって、丸1年経ちましたね。去年の3月11日に末廣亭での披露目の大初日に並んだことを思い出します。1年経ってみて、どうですか?

与いち:やっぱり、あっという間ですね。早かった! うかうかしていられないという感じです。

――それはどういう意味で?

与いち:もう足掛け3年ほどコロナじゃないですか。でもそれに関係なく真打はどんどん誕生していきますし、いつかは自分もなりますよね。真打って、「芸が未熟だから、オマエは真打にはなれないよ」とは言われないじゃないですか。ところてん方式でなっちゃうものなんで。そう考えると、1年がこんなに早いということは、その10倍の10年なんて大したことないんだろうなって思うわけです。時間がない!と思っています。

――1年前、ちょうど二ツ目に上がるときに思ったことと、今、考えていることとどうですか。そこに変化はありましたか?

与いち:えええ? たとえばどんなことですか?

――二ツ目になったときに「こうやっていこう」と心に決めたこととかあると思うんです。それがこの1年で変わってきたなとか、やっぱり1年前と変わらず、こう思っているとか。そういったことが伺いたいです。

与いち:そうですね。変わらないことは「自分の地元、仙台に人を呼び込める芸人になりたい」ということですね。それが一番の目標なんです。こんな二ツ目になってすぐの1年目ですら、「与いちさんの出囃子でベニーランドを知って遊びに行きました」と言ってくださるお客さんがいらっしゃるんです。嬉しいですよね。その目標は変わらずにそのままずっと持ち続けて、どんどんそんな人を増やしていきたいという気持ちは変わらないです。

――前回のお客様の中には楽天イーグルスのファンの方もいらっしゃってて、八木山ベニーランドがかかったときに「あ!」と思ったという方もいらしたんですよ。もうひとりは、やはり同じ宮城県出身の方がいらしてて。その方も落語は初めてだったけど、与いちさんに親近感を覚えたと言ってました。

与いち:確かに自分が知っている情報や共通項があるって大きいですよね。

――与いちさんは常に東京と仙台を行ったり来たりしてますよね。その手応えみたいなものを感じ始めていますか?

与いち:そうですね。毎回、少しずつお客様が増えてきたりと、そういうのは目に見えて分かりますが、単純に人が増えるだけでなく、お客様のノリというか落語に対する“距離感”みたいなものが近くなっているような感じがしています。

――素敵ですね!

与いち:仙台は東北の中でも落語ファンが多くいらっしゃるんです。単純に人口が多いというのもあるんですが、そういうコアな方でなくても来てくださるので、やっている意味はあるのかなって感じています。

  • photo by SHITOMICHI
  • interview and text by MIHO MAEDA

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